戦争に参加する理論と、原子力発電所が必要な理論がよく似ている
猪瀬直樹 『昭和16年夏の敗戦』を読むとよくわかる
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なぜ、『里の秋』の話がしたいのか、そこから話をします。
もともと、秋の歌なので、秋になったらこの話をブログにアップしようと思っていました。
が、NHKの朝の連続テレビ小説『おひさま』を見ていて、どうしても『里の秋』の話を、今、書きたくなりました。
『おひさま』では、先週から今週、戦争(第二次世界大戦)に出兵していた男達が、何人か帰ってきました。つまり、戦地から復員してきているわけです。
もちろん戦死してしまった人もいます。主人公の二人の兄のうち、軍人になった下のお兄さんは帰ってきましたが、医者になって軍医に行った上のお兄さんは戦死しました。
僕は、『おひさま』を見ながらも
なぜ戦争が起きてしまったメカニズム、
そして戦争に行かなければならなくなった人のこと、そして、家族を、知り合いを戦地に
出してしまった人のことをいろいろと考えていました。そして、『里の秋』のことを書きたくなったのです。
秋まで待てなくなったのです。
秋まで待てない、という気持ちの中に
戦争が起きてしまったメカニズムと原子力発電所を日本の基幹の発電システムにしようとするプロセスが
極めて似ている、ということを知った、ということもあるのですが、この話は、数日後にブログにアップします。
今回は『里の秋』の話だけです。
実は『里の秋』に関しても、以前ブログに書いたことがあります。
それに今回は、かなり手を入れて再掲載しますね。
私は、秋になると『里の秋』をよく歌います。
高校生の時の修学旅行、草津白根山をバスで走っていたときにバスガイドさんが歌ってくださり、白根山の紅葉と『里の秋』のメロディと歌詞がマッチして、素敵な思い出になりました。
そして私は、その後しばらく、『里の秋』は日本の美しい秋を歌った歌だと思っていました。
ところが真実は全く違うのです。ご存知ですか?
♪
しずかなしずかな 里の秋
おせどに木の実の 落ちる夜は
ああ かあさんと ただ二人
栗の実にてます いろりばた ♪
これが一番の歌詞です。
かつての、日本の秋を歌った美しい歌詞ですね。
でも、ちょっとおかしいと思いませんか?
1番の歌詞にお父さんは登場しません。
「ああ かあさんと ただ二人」。
お父さんはどこへ行ったのでしょうか。
♪
あかるいあかるい 星の空
なきなきよがもの 渡る夜は
ああ とうさんの あのえがお
栗の実たべては おもいだす ♪
2番の歌詞におとうさんが登場します。
でも、「おとうさんのあの笑顔を思い出す」という内容です。
ますますおとうさんは、どこへ行ったのでしょうか。
♪
さよならさよなら 椰子の島
お舟にゆられて かえられる
ああ とうさんよ ご無事でと
今夜もかあさんと 祈ります ♪
「椰子の島」という歌詞がありますが、お父さんは「椰子の島」に行っていたのです。
もちろん、今のようにリゾートで行っていたわけではありません。
戦争に行っていたのです。
『里の秋』は作詞は斎藤信夫、作曲は海沼實。この歌が最初に発表されたのは、
ラジオ番組「外地引揚同胞激励の午后」。引揚援護局のあいさつの後、童謡歌手の川田正子の新曲として全国に向けて放送されたそうです。
放送直後から反響を呼び、次の年に始まったラジオ番組「復員だより」の曲として使われたのです。
「復員だより」というのは、戦地からの引き揚げ者の名前を読み上げる番組です。
家族の人たちが、戦地から帰ってくる人たちの名前の中で、お父さんが呼ばれるかどうか、必死の思いで耳を傾けた、ということです。アナウンサーの読み上げる名前に、自分のお父さんの、家族の名前を聴いたときの気持ちはいかほどのものだったでしょうか。また、今日もお父さんの名前を聞くことができなかった家族の思いは……。
『里の秋』を聴くと必ず涙を流した方は、たくさんいらっしゃいましたし、今でもいらっしゃることでしょう。
『里の秋』。この歌詞に登場した家族のうちに、お父さんは無事、帰ってくることができたのでしょうか。
世界の人々が、少しでも平和に近づけることができるよう、祈り、行動したいと強く思います。
ところで、文化人類学者の上田紀行さんが、ご自身の著書『慈悲の怒り』で
面白いご指摘をされています。
上田紀行¥ 1,050 |
ということです。が、そのことに関しては、先程も書きましたが、また、数日後に、このブログで発表したいと思います。
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