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2010年5月18日火曜日

メディアではなく、スペースという感覚   その1

私は広告業界に勤めているけど、既存の広告媒体の凋落といったら、逆にすごい。
昨日書いた、水戸黄門がいい例だけど、かつてはあれだけの視聴率を誇ってテレビ業界に君臨していた番組が、今はたくさんあるコンテンツの中の、まあまあいいもののひとつに成り下がっている。
ジャイアンツの野球中継もしかり。私が子どもの頃は、8時から始まる(当時は8時からだったような記憶がある。それが7時半になり7時からになったような……)野球中継(野球中継といえばジャイアンツ戦)を、お父さんが枝豆をつまみにビールを飲む、そういう家庭の風景が共通認識としてあった。テレビ局だって、夏は野球を中継していればよかった時代があった。

しかし、そういう時代は確実に終わった。
実際、8時に家に帰ってこれるお父さんは、日本中でどれくらいいるのだろう。明日のことを考えずに、8時からビールを飲めるお父さんは、本当に今の日本にいるのだろうか。

そこそこの会社に所属していれば、一生安泰の時代は終わった。自分で生きていかないと、つまり稼ぐ手立てを考えないと、生活ができなくなるのだ。

今、私たちは、進化を問われている。これからの時代に生き残れることができるのか?

最強の者が残るのではなく、最適のものが残る。これはダーゥインにひらめいたひとつの真実だと思う。

これからの時代に適応していかないと、家庭ひとつを運営することも、いや、自分ひとりが生きていくことさえも、難しい時代なのだ。

具体的には、何をするべきなのか。一人ひとりの答えは違うと思うが、ヒントはいろいろなところにある。考えながら走るしかない。僕にはいつも、オシム監督のこの言葉が頭を駆け巡る。

と、いつもの調子で、タイトルの「メディアではなく、スペースという感覚」のテーマまで、たどり着きませんでした。申し訳ないですが、それはまた次回に。

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