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2013年1月5日土曜日

ああ、やっとわかった。選挙に行って白票を入れることに関する違和感の正体が。そして僕の役割が


2012年12月、衆議院選挙に行きたくなかった(行かなかったし)

この前の衆議院議員選挙(2012年12月)には、全く投票しに行く気になれなかった。
選挙なんて、行っても意味が無いとかなり強く感じた。
なぜ……。
もちろん政治に関心がないわけではない。しかし投票したい人物や政党が全く見つからなかった。いや、一人だけはいたのだけど、投票する、という行為そのものが嫌だったのだ。

僕の周囲の友人や先輩方は「入れたい政党がなければ、白票を投票するべきだ」といった内容の意見を僕ににくれた。
Twitterでつながりがある人たちからも、おおかた同じ意見をもらった。
「選挙に行かなければ、政治に文句を言う権利はない」という激しい意見を僕にする人もいた。

最後に紹介した暴言は別として、多くの人の言うことは、至極まっとうだった。
まっとうだと思いながらも、選挙に行って白票を投じる違和感は最後まであり、結局、選挙に行かなかった。

選挙の結果は、みなさんも御存知の通り、民主の惨敗、自民の歴史的勝利。

しかし、もう、政権途中から機能しなくなっていた詐欺集団の民主党のことはどうでもいいんだけど、自民党だって、歴史的大敗をした前々回の得票数より、比例区は少なくなっている。
今回の選挙で、自民党を支持している人が増えたわけでは決してないことは、みんな知っておくべきだ。

さて、話を選挙の投票に戻そう。

選挙に行かないことは、本当に悪いことなのか?

今回の投票率の低さは、これもまた歴史的だという。
テレビをたまに見ると「投票率の低さは目を覆うほど」とか「投票率を高くする工夫をするべきだ、例えば投票すると税金が安くなるとか」といった意見があった。
特に後者の税金云々の意見に対しては、本当に嫌悪感が走った。意見をいった当人は良いアイデアだと思ったのだろうけど。

改めて、僕はなぜ、選挙に行って白票を投じずに、あえて選挙に行かなかったのだろう。僕の中の感覚が、そっちのほうが正しいよ、といってくれているような気がしたんだ。
でもなんでそうなんだろう……。ある程度のことはわかりかけていたんだけど、はっきりと自分で肚には落ちていなかった。

そうか、選挙に行って政治を変えようという考えは、やっぱり間違ってるんだ

少し話が変わるけど、興味のある人は続けて読んで欲しい。

今年の1月2日(2013年)、去年につづいてNHKの教育テレビ(Eテレというらしんだけど、ちょっと……)の「ニッポンのジレンマ」を見た。
去年は、この番組で討論されたことがとてもエキサイティングで強く刺激を受けた記憶がある。
ところが、今年はどうだ。
「仕事の仕方」がテーマだったからというのもあるかもしれないが、自己実現系の話が多かった。まるで本屋のビジネス書のコーナーに置いてあるような内容。私はこうしてフリーになりました……特に女性のパネラーの意見は勘違いも甚だしく、今年はダメだなとずっと感じてた。
期待の猪子寿之さんも「法律を無くしてくれ、僕たちはいつ、法律にやられるか怯えながら毎日を暮らしているんだ」というちょっと訳の分かんないことを強く主張する。
今年はダメだな、と感じて、もうつまんないな、と思ったその時、宇野常寛さんの発言があった。

彼はNHKの大河ドラマ「平清盛」のことを持ちだして「視聴率は悪いかもしれないけど、すごく僕は感情移入して毎回涙する」といった趣旨のことを話したあとに
「平清盛は、貴族政治が腐ってしまったのをよくわかっていたので、貴族の世界に入って、そのシステムの中で日本を立て直そうとした。しかしそれではだめだったんだ。結局、源頼朝が、貴族の世界とは全く切り離された武士の制度を、いわば勝手に始めちゃったんだ。しかも京から遠い鎌倉で。守護とか地頭とかの制度。結局、今までの中で戦っても勝てなくて、それを無視して全く新しいことを始めた奴が勝っちゃった。平清盛はそういうドラマですよ」と続けた。

この瞬間、僕は生まれて初めて、目から鱗が落ちる体験をした。

「ああ、そうだったのか。僕が選挙に行って白票を投じるということは、清盛が貴族の中に入って貴族社会を変えようとしたのと同じなんだ。だから虚しさと嫌悪感があるのか」
(付け加えれば、選挙後、安倍晋太郎をはじめとする自民党の政治家、民主党の政治家、あ、公明党も含め、少なくともまだ存在感を感じることができる政治家の顔を見るのも嫌になった。)

つまり、今の日本の制度は、極端な言い方をすると85%くらい腐ってるんですよ。賞味期限が切れてるんですよ。
その腐っている制度の中に、国会も、政党も、選挙も全部入っているのですね、きっと。
僕は腐った制度の中に取り込まれるのはいやなのですよ。

宇野常寛さんの発言を通して、さっきの猪子寿之さんの「いつ法律にすぶされるか、怯えながら仕事雨をしている」という発言も、よく理解できるようになりました。猪子さんは、既に、ある程度新しいところでビジネスを展開して行っているのです。ところが、旧来の腐った日本の制度が、その新しいフィールドを許さないのですね。それは貴族が頼朝を潰そうとするのと同じなのです。
そうなんだよ、猪子さんはやっぱり新しい所で進んでいるんだよ。

新世界は、今の世界の外に作る

これから僕は、新しいところで生きて行こうと思います。
それは海外に行く事ではないような気がします。でも、何となく方向は見えてきました。自分の役割も見えてきました。
さあ、行くかな……新しいところへ。
どこかって? さあ……。でも、だいたい検討はついているんですけどね。







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