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2011年5月31日火曜日

サンフレッチェ広島……お笑いサッカーと言われる所以  慎野、森脇を継ぐ、大谷真史くん

【今日の一言】
大好きです、こんなヤツ!


僕は、サンフレッチェ広島のサッカーを、「美しく切ないサッカー」と表現しています。

一方で、サンフを「お笑いサッカーチーム」と呼ぶ人もいます。

真逆ですよね、この評価。

3バックでポゼッションをしてパスをつないでボールを動かして点を取りに行くサンフレッチェのサッカーは、美しい。僕はいつもそこに切なさを感じます。

しかし、点をとった後は、あのパフォーマンス。



これはボーリングで、この映像を撮影していた側の人も「バカじゃないの」と言っていましたが、
まあ、バカです。
昨年まで在籍したサンフの慎野が、サポーターに喜んでもらうために始めました。
今ではJリーグ名物になっていて、相手チームと相手サポにはダメージを与え、
自チームにはさらに力をみなぎらせます。
審判も、やり過ぎるようならイエローを出すぞ、と警戒していて、ペトロビッチ監督は
素早くパフォーマンスしろ、と指示を出しています。


さらにホームゲームで勝利すると、スタジアムに足を運んだ人が最も楽しめるサンフレ劇場。

勝った日は本当に気分がイイ。

ゴールパフォーマンスとサンフレ劇場と、
まあ、ハッキリ言って、慎野と森脇ですが、この二人の影響で
サンフはお笑いチーム、とも評されるようになったのです。

しかし、サンフレッチェ広島は、慎野や森脇もぶっ飛ぶ、もっとすごいお笑い野郎を出現させてしまいました。
(やべっちFCでも紹介されたし、ネットでも話題にはなっていますが)


彼の名は、大谷真史サンフレユースのフォワードだ。

しかし、スゲーな、こいつ。単なるお調子もんじゃない。この開会式は、感動的ですらある。

大谷くんは数年後、間違いなく、サンフのトップチームで、得点を重ねていることだろう。

2011年5月30日月曜日

森崎浩司、そして仲間たち……広島の誇り

【今日の一言】
双子なんだぞ、森崎ツインズ。


昨日の、サンフレッチェ広島 vs 鹿島アントラーズ の戦いは、壮絶を極めた一戦でした。

お互いのチームが死力を尽くし、観るものを感動させるゲームでした。

僕は、ここ数年、広島出身ということもあるのですが、サンフのサッカーが好きで応援しています。
このブログでも数回書きましたが、美しく切ないサッカーは、日本を代表できるチームだと思っています。

鹿島アントラーズも、ここのところACL等の過密スケジュールや震災の影響でなかなか勝てないとはいえ、クオリティの高いチーム。
エキサイティングなゲームにならないはずはありません。

ご覧になった方はご存知のとおり、風雨の影響も物ともせず、素晴らしいゲームになりました。

結果は、2対1でサンフレッチェ広島の勝利。

しかもサンフの2点は、森崎浩司の左脚一閃の二つのミドルシュート。まさしく代表クラスの弾道でした



さて……。

森崎浩司という男は、誰がどう考えても代表メンバーに選ばれていないのがおかしい、実力の持ち主です。
では、なぜ彼は、未だ代表に選ばれたことがないのでしょうか。

サンフファンの方はご存知でしょうが、森崎浩司は、これまで常に、怪我と病と戦ってきました。

彼の歴史は、ジェイズゴールのゲームレポートに詳しいので、それを後ほど転載させてもらおうと思います。


とにかく、僕はサンフレッチェ広島が好きで、その選手たちも、監督も関係者もサポーターも全部誇りに思いますが、
森崎浩司と、サッカーが出来る幸せを(応援できることもサッカーが出来る幸せと思っています)かみしめています。

以下、ジェイズゴールの、サンフレッチェ広島対鹿島アントラーズのレポート記事を転載します。

この記事に限らず、このサイトの記事は良質なものが多いです。
Jリーグファンならずとも、必読、と思います。

この記事も素晴らしい。
ぜひ、読んでくださいね。


【記事はここから】
URLはこちら
http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00119733.html


5月29日(日) 2011 J1リーグ戦 第13節
広島 2 - 1 鹿島 (19:04/広島ビ/8,049人)
得点者:9' 森崎浩司(広島)、18' 興梠慎三(鹿島)、90'+1 森崎浩司(広島)
スカパー!再放送 Ch183 5/30(月)後05:30~
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森崎浩司の左足であれば、決めても決して不思議ではない。「彼なら、こういうシュートを量産できる」というペトロヴィッチ監督の言葉が嘘でないことは、過去の歴史が証明している。

たとえば、2001年9月29日・福岡戦でのプロ2点目となったFK弾は、故富樫洋一氏(サッカージャーナリスト)をして「世界的なGKでもとれない」と言わしめた。2002年11月16日、カシマスタジアムで放った彼の超速ミドルに対し、曽ヶ端準は一歩も動けなかった。2007年12月15日、J2降格が決まった直後の天皇杯・磐田戦では豪快なFKを二本決め、川口能活に「凄かった」と脱帽させている。
好調時の彼の左足は、Jリーグを代表するレベル。ただその事実を証明する機会が、これまでは少なかった。それは森崎浩司のサッカー人生が、ケガと病気の日々にまみれていたからだ。

度重なる足の骨折や内側側副じん帯損傷などで、手術や入院を繰り返した。アテネ五輪後にはバーンアウト症候群に陥った。だがもっとも深刻だったのは、2008年に発症したオーバートレーニング症候群。視界が全てぼやけてしまうという異常がその前兆となり、やがて彼を死の一歩手前まで追いつめた。笑うことも泣くことも最愛の娘を抱くこともできず、喜怒哀楽の感情すら失った。愛妻の「私が助けてあげる」という一言がなければ、兄・和幸をはじめとする家族、ペトロヴィッチ監督、仲間たちのサポートがなければ、彼の回復は不可能だったかもしれない。「ヨーロッパで彼と同じ病にかかった選手の多くは引退する」と指揮官は証言する。

森崎浩司は2009年をほぼ1年、棒に振った。昨年、奇跡的な復帰を果たしたものの、症状は常に森崎浩の身体を悩ませる。秋以降は試合に出場できなくなり、今年もキャンプから病気の症状に悩まされた。それまでの彼であれば、外出することすら難しかったかもしれない。だが、生命の危機を乗り越えた森崎浩司は、ここで歯を食いしばった。身体と気持ちを振るい立たせて、必死で日々の暮らしと向き合った。その我慢に秘められた「俺はサッカー選手。サッカーをあきらめない」という断固たる決意が、彼を突き動かしていた。たたでさえ強烈なパワーと精度が同居している彼の左足に情熱と執念が乗り移り、鹿島を倒すスーパーゴールへと結実した。

敗れたとはいえ、ACL・FCソウル戦の完敗から鹿島は見事にチームを立て直してきた。システムを4-2-3-1に変更して大迫勇也をワイドに開かせ、アレックスと共に攻める左サイドからの攻撃は、特に前半、広島に脅威を与えた。18分に生まれた興梠慎三の今季初得点も、大迫の左クロスから生まれている。再三、ミキッチに裏のスペースをつかれてピンチに陥っても勇気を持って前に出て、31分・43分と左サイドから決定機を創り出し、立ち上がりに失ったペースを自分たちに引き寄せた。
後半、広島がクロスに対する対応を修正すると、鹿島の決定機は減少。しかし球際を激しく争い、巧みなボールキープから広島のゴールにガムシャラに迫った。屈辱から這い上がろうとする「傷ついたライオン」たちの泥だらけの純情が、身体を前へ前へと動かす。

71分、野沢拓也のFKのこぼれを西大伍がワンタッチではたき、増田誓志が至近距離から放ったシュート。鹿島の勝利への純情がお家芸のセットプレーとなって実を結んだか、と広島サポーターを震撼させた瞬間だった。
だがそこに身体を投げ出して防いだのが、森脇良太だ。アディショナルタイムでのレッドカードはともかくとして、彼のこういう情熱的な守備は鹿島のチャンスの芽をことごとく摘み取った。ミキッチが足に不調を抱えてからは、守備だけでなく攻撃にも積極的に参加。90分を超えても攻守にわたって走り回り、森崎浩司に落ち着いたパスを出して広島ビッグアーチに歓喜を呼ぶお膳立てを果たした。後半から登場した石川大徳や最終ラインで守備を引き締めた森崎和幸らと共に、彼もまた勝利の演出者だったと言っていい。

だが、この日はやはり、森崎浩司に尽きる。1本目はムジリが相手を引きつけて出したパスを受けての約30m弾。2本目はプレスにきた岩政大樹をうまくブロックしながらの強烈なミドル。岩政大樹が「素晴らしい」と感嘆したほどの強烈かつビューティフルなシュートを2本もそろえたこと。雨と強風の中の試合でいつも以上に疲れが足にたまっているはずのアディショナルタイムになってなお、強烈な決勝ゴールを叩き込む勝負強さ。「私にとって、森崎浩司は日本代表だ」と紫の指揮官が絶賛した背番号7は、重大な病との長く苦しい戦いに勝利するべく闘っている男の強靭さを、見事に証明したのである。

以上

2011.05.30 Reported by 中野和也

2011年5月29日日曜日

「ちょんまげプリン」 思いの外、よかったですね

【今日の一言】
タイトルで損してますね。


「ちょんまげプリン」というタイトル、
これ、原作も「ちょんまげプリン」なのですが(原作は読んでいません)、この映画が損をしているとしたら、このタイトルですね。
荒木 源¥ 600

おっぱいバレーも、タイトルで損をした、と言われましたが……。(見てないです、すいません……)
綾瀬はるか¥ 3,743

(関係ないけど、綾瀬はるかのリンクも張っておこう)


とにかく「ちょんまげプリン」は面白かったです。
思ったよりはるかに面白かったです。

タイムトラベルものは、いいプロットに恵まれることが多いですね。

バック・トゥ・ザ・フューチャーや時をかける少女、今、ドラマでブレイクしている「仁」もそうですね。

で、ちょんまげプリン。

登場人物の個性もしっかり描かれていて、また、江戸時代の侍が現代にやってくるというよくある話もしっかり考えられていて、安易ではなく、
とにかくお勧めです。

結構、ドライな感じもいいんですよね。

DVDを借りて、損のない、作品ですよ。

2011年5月27日金曜日

緑の街に舞い降りて……6月の花嫁

【今日の一言】
B女史は、今も大活躍です。


【今日のもう一言】
掲載している動画の
「緑の街に舞い降りて」を聴きながら
読んでいただくと雰囲気があがりますよ。


風薫る五月もそろそろ終わり。
関東甲信越地方も梅雨入りをしました。

この季節になるとどうしても思い出す話があります。
以前、別のブログでアップしたお話ですが、もう一度アップします。

松任谷由実の「緑の街に舞い降りて」という曲が僕は好きなのですが、
その曲にまつわるおはなしです。

松任谷由実¥ 2,153 (14% OFF)



「6月の花嫁」

僕は30代の半ばまで、鎌倉に住んでいた。
その頃、よく通ったお店があった。
若宮大路の一の鳥居の側にあるバー。ほとんどの金曜日の22時を過ぎてからは、僕はそのカウンターで数時間を過ごした。
その夜は、友人B(女性!)と二人でお酒を飲んでいた。残念ながらガールフレンドではなく、本当の酒飲み友達だった。

そしてその夜は、当時僕が勤めていた会社のM氏も、23時を過ぎた頃、その席に加わった。
僕の左隣に座ったM氏は、複雑な名前のカクテルを飲みながら、独白を始めた。
「僕は、彼女と賭けをしたんだよ」
僕とB女史は、まずは適当なところで相づちを打つことからはじめた。

………

Mが、その女性に会ったのは、その時からさらに2年前のこと。
場所は、松任谷由実が「緑の街に舞い降りて」で、名前の響きがロシア語のようだった、と歌っている街だった。

Mは、テレビ番組を作る仕事で、その街の放送局を訪れた。
そして……その放送局の女性ディレクターと恋に落ちた、会って3秒後に恋に落ちたらしい。
彼女のことは、名前のイニシャルからYとしておこう。
Mの気持ちは、3秒後からYに釘付け。打ち合わせも上の空。
打ち合わせの後の、お決まりの会食とオフィシャルな2次会が終わったら、Mは猛烈にYを誘った。そこは押しの一手。自分が宿泊しているホテルのバーまで連れ出した。そのバーの営業終了は朝の5時。

何と、Mは、Yにプロポーズをした。
驚くことに、YもMに一目惚れをしたらしい。
(そりゃそうだ、いくらMの押しが強くても、一目惚れくらいしていないと、ホテルのバーで朝まで一緒に飲まないって)

そして彼女の答えは
「ありがとう。すごく嬉しい。今日はじめてあったのに、私もあなたが大好きになっちゃった」

あまりにも嬉しいその答えに、Mが彼女を抱きしめようとした瞬間、
どうしたことか、彼女は、突然泣き出した。

「どうして1週間早く来てくれなかったの」
彼女はちょうど1週間前に、会社の同僚と結婚する約束をしてしまったのだ。

その相手は同期の番組ディレクターで、数年間結婚してくれ、と迫られつづけていたそうだ。
彼に対して恋をしているわけではなかったが、家族から早く結婚しろ、と言われていたのと、26歳でもう行き遅れている(26歳で!? 20年前の話しだけど、その当時でも、26歳はまだまだ若い年齢だった。おそらく地方性の問題だろう)と思っていたことで、彼の長年のプロポーズに首を縦に振ってしまったのだ。
そして、わずか1週間後に、Mという運命の男性に会ってしまったのだ。

MとYは、会ったその日に、恋に落ちてしまった。激しく、深く。しかし彼女には、結婚を約束した相手がいた。

それからが大変だった。

彼は「そんな嘘の結婚は止めてしまえ」と言う。彼女は「そうしたい。そうする。でも、いい人なの、どうしよう」と悩む。結婚を約束したかれのお父さんは、その街の市長でいわゆるセレブ。そのことも彼女を悩ました。迷惑がかかる……。

しかし、恋はさらに深くなった。ロシア語みたいな名前の街には大きなスキー場があった。彼は、雪が降ったと聞くと、夜行寝台に飛び乗った。雪で滑る道を、体を寄せて歩いた。
上野発の夜行列車だ。

夏になったら、彼女がMを訪ねてきた。当時Mは、僕のアパートの近所に住んでいた。夏のビーチに、僕と僕のガールフレンドと、Mとその彼女の4人がデッキチェアーに並んで横になり、太陽と遊んだ。

夏が過ぎて、秋がきて、そして、その街は再びスキーシーズンを迎えた。
12月、雪がどっさりと降った日。その日は両家の結納の予定日だった。僕の友人は、ロシア語みたいな名前の街にホテルの部屋を取り、彼女を監禁した。彼女は「行きたくない、ここにいたい」といいながら、仕事に行くように、数時間で結納を済ませて、また部屋に帰ってきた。
いったい、女という生き物は、よくわからない。

春がきて、東京より一月遅い桜が咲いた。結婚式が、1ヶ月後に迫ってきたある日のことである。彼と彼女は、その街の近くで活躍した童話作家の作品の名前がついた喫茶店で、最後の話し合いをした。
「君はこのまま、結婚するつもりか」「したくない」「でも、このままじゃ、ずるずる結婚しちゃうぜ」「そんなことは無いと思うけど……」
そして最後に彼女は、彼に言った。
「あなたが結婚式場に、私を奪いに来て。ダスティン・ホフマンになって。私、あなたに賭ける。私を賭ける」
彼女の結婚式は、その街の山上のあるホテル。朝10:00。その街の山の上にあるホテルの式場。当日の朝、上野を早い新幹線で発ってもギリギリ間に合ったが、Mは安全策をとった。前の晩の上野発の夜行寝台に乗れば、朝の7時過ぎにその街に着く。
その夜行寝台は、冬に彼女に会いに行った時、何度も乗った列車だった。
朝の7時にその街に着いたら、そのためだけに予約したホテルでシャワーを浴びて、ダスティン・ホフマンになる準備をする。そして、タクシーで山の上のホテルに駆けつけて、彼女を奪いに行く。
Mの計画は完璧だった。

ただし彼女の結婚式が、スキーシーズンに行われたのであれば。

結婚式は6月。その夜行列車は、スキーの季節しか、ロシア語みたいな街を通らない。6月は、もう1本、海沿いの路線を走るのだ。


6月の花嫁は、幸せになるという。彼女は、今、幸せなのだろうか。

Mの話は、それで終わり。
彼は、それからしばらく、宮沢賢治の童話が読めなくなり、ダスティン・ホフマンの映画が見れなくなったということだ。

僕とB女史は、その話しで、その晩は随分盛り上がった。いつもは自分からは会話に割り込んでこないバーテンも、何回か絡んできた。
「早く忘れようぜ、落ち込んでも仕方ないんだから」と僕が言う。
「そうだそうだ、忘れろ忘れろ」とB女史があおる。
「そうだな、忘れることにするよ」
「忘れろ、忘れろ、かんぱーい」さらにB女史が続けた。
この話には別の後日譚がある。

Mに、その話は忘れろ、と強く主張したB女史。
数ヶ月後に彼女は、僕の友人の恋愛話を題材にして、小説を発表した。B女史が直木賞を受賞したのはその発表から、数ヶ月後のことだった。
Bが受賞した数日後、そのバーに3人で集まって、お祝いをした。もちろん宮沢賢治とダスティンホフマンの話は、禁句。

宮沢 賢治¥ 1,697

2011年5月19日木曜日

いいことをしながら、悪いことをする……。

【今日の一言】
May the force be with you!


お風呂にはいるのはめんどくさくて嫌いでも、温泉は大好き、という人がいる。

コーヒーと牛乳は嫌いだけど、コーヒー牛乳は好き、という人がいる。

この年になっても喘息が出るので、薬を飲んで気を付けているんだ、といいながらタバコがやめられない。

体重が気になるからダイエット系のお茶にしてるの、といいながら、食事の後にデザートをたのんでしまう。

自分の子どもに「勉強しないとだめだよ」と諭しながら、ついつい仕事をサボってしまう。

田舎暮らしがしたいなあ、とか言いながら、六本木で酒を飲んでいる人もいる。

政治家へのバックマージンは汚い、といいながら、定期を使ってキセル乗車をする(もうほとんどできないけど)。

会社ではパワーハラスメント紛いのことをしながら、夜には、女王さまの奴隷になっている……。


人は、いいことをしながら、悪いことをする。
(これは、作家の池波正太郎さんのメッセージ)

ジキルであり、ハイドである。。

ジェダイでありたいと思いつつ、ダースベーダーになっている時だってある。


だから人間は面白い、とは思わない。

だから人間は信じられない、とも思わない。

だから人生は生きる価値がある、とも断言できない。


ただ、言えることは、人はいいことをしながら、悪いことをする、ということだ。


僕は、自分には厳しく、人には寛容であろう、と思う。













こんなコト書きながら、「あのやろう、許せねえ」なんて言ってんだよね。


池波正太郎さんの傑作。
ほんとうに面白いし、いろいろなことを
考えさせられます。
池波 正太郎¥ 520

2011年5月10日火曜日

吉祥寺・井の頭公園で女優を見た……

【今日の一言】
コミニケーションについて、深く考えさせられました。


僕が住んでいる家からは、最寄り駅は吉祥寺で、通勤は井の頭公園を通って吉祥寺駅に向かいます。
もちろん帰宅するときはその反対。

この前の6日の金曜日。仕事を終えた僕は、吉祥寺駅で降りて、七井橋通りを井の頭公園に向かって歩いていました。七井橋通りは、賑やかな通りで、雑貨やさんとか食べ物やさんとか面白いお店が並んでいる通りなのですが、それはよしとして。

僕の後ろの十数歩後ろを歩いている若い女性の二人の会話が聞こえてきました。吉祥寺か井の頭公園で女優を見た話なのですが、その会話に、ある種の衝撃を受けたので、そのことを紹介しますね。

女性Aと女性Bの会話ですが、その間に、私が心のなかで思ったことも、書いておきます。

女性A
「私、さっき女優さんを見た」

私(心のなかで思ったこと)
(吉祥寺や井の頭公園は結構有名な人見るからね……)

女性B
「へえ、誰?」


(そりゃ、誰ってきくよね)

女性A
「言ってもわからないと思うけど……
 ろくろ首やってた女優さんに、よく似た女優さん。」


(ろくろ首?その女優によく似てる女優、わかんないよ、それじゃあ!)

女性B
「ああ、あの人か。」


(ゲッ、それでわかるんかい!)


ろくろ首といえば、これでしょう!

2011年5月4日水曜日

キャンドルジュンではなく……草津温泉のファンタスティックな一夜

【今日の一言】
郷ピロミ、みたいな話です、ハイ。

草津温泉に来ています。



震災以降、なかなかお客さんに恵まれなかった観光地ですが、草津温泉も例外ではありません。
旅館組合の人たち(だと思うのですが)いろいろとアイデアを出しあって、このゴールデンウイークにお客様に草津を楽しんでもらおうと、いろいろなもようしを準備しています。

昨年から草津温泉では、熱の湯という建物で(草津の湯もみが見れるところ)落語の上演をしていますが、ゴールデンウイーク中はそのダイジェストとして、お昼に湯畑の側にある足湯で落語をやっています。お客さんは、足湯に浸かりながら落語を楽しめるという嗜好です。
もちろん夜は、熱の湯で温泉落語。楽しそうでしょ。(顔、落語家さん以外はわからないですよね。わかるかな……草津温泉の宣伝だと思って許してください)














それからこの写真を見てください。湯畑の側にある光泉寺というお寺の山門に続く階段に、たくさんのろうそくが置いてあるのです。
光泉寺の階段は長く、湯けむりが上がる湯畑から見上げると、幻想的な景色が浮かび上がります。(写真の右では、ジャズのトリオのライブが開催されています。これもいいですよ)









次の写真は、先程の写真の切り返し。光泉寺の山門から湯畑を見下ろしたところ。

このイベントは明日まで行われるということでした(もし草津温泉に行くときは、協会などに確認して下さいね)。

このキャンドルは草津温泉の人たちが並べて、一本ずつ火を灯していくそうです。

旅館関係者の人に
「せっかくだから、お客さんを呼ぶために、キャンドルジュンにお願いすればいいのにね」

と半本冗談で言ったら

「だめだよ、キャンドルジュンにお願いすると、ギャラが高そうだから」

「じゃあ、旅館協会の誰かに芸名をつけて、ろうそく純一とかにしたら」

「キャンドルジュン自体が胡散臭いのに、ろうそく純一じゃあ、ひどすぎるでしょう」

「……、確かに」

2011年5月2日月曜日

長友佑都、大活躍。そこで……

【今日の一言】
そりゃそうだ。自分でもそう思う。


長友佑都のイタリアでの活躍が、我が家で話題になりました。



インターミラノでの高い評価、そして完全移籍。また古巣のチェゼーナからの表彰。
ACでのコメントはちょっと鼻につくけど、それはそれとして
サッカー選手として、才能に恵まれ合理的な努力を惜しまず、気持ちをしっかり持って毎日を過ごしているに違いない。
インテルのレギュラーをつとめるということは、超一流のサッカー選手であることの証明だ。

そんな長友の活躍をインターネットのニュースで見ながら、
「長友はえらいなあ」
と私が言ったところ、
息子が、無意識に(だとおもうけど)歌った鼻歌の歌詞は
♪「長友は偉いけど~、お前はどうなんだ~♪」
……。
鼻歌だけど、名曲だと思った。