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2013年5月22日水曜日

ケサラ 木村充揮    圧倒的な虚しさの中で……。


最近というか、ここ数年なのだろうか……。
虚しい気持ちに支配されることがある。原因不明なのか、原因明瞭なのか。
失いはじめたものへの郷愁か、それとも自分の手元にあるものののはかなさなのか。
わからない。

もう、53歳になってしまったよ。今年は54歳。

歳をとることは、切ないものなのだ。

僕が小学生だったときと比べて、残りの人生は少ない。
10代だったときと比べて、20代だったときと比べて……。

いや、昨日と比べたって、今日の僕の残りの人生のほうが、確実に少ない。

後戻りしたい。あの日に戻って、やり直すことができたら、どれだけいいか、と思う。

でも、戻れないのだよ。時間は一方向にしか進まない。不可逆性の権化なのだよ。
それがこの宇宙のかどうかは知らないが、僕をめぐるルールらしい。
つまり、僕は、時間の流れる方向ににしか進めないのだ。

だから、進むしか無い。

時間の流れる方向は、前なのか? 後ろなのか? そもそもそんなものはないのか……。

生きることは、選択の連続だ。今、間違えて、洗濯の連続、と打ってしまって書きなおした。
洗濯の連続も真実だが、選択の連続も真実だろう。

ふとしたことで、選択を間違うことはある。誰もが確信を持ってこちらが間違いないって選べるわけではないだろう。
しかし、その選択で、人の環境は大きく変わってしまう。
環境が変わっても、自分を変えなきゃいい、という人もいるが、まあ、そりゃそうだ。だけど、そこまで僕は強くないんだよ。

ということで、最近、ヤバい時によく聴いている、ケサラ。

もともとはイタリアにオリジナルがあってホセ・フェリシアーノがサンレモ音楽祭で歌っていた。社会活動のテーマソングにもなっているし、いくつかのヴァージョンもあるが、今はこれ。

木村充揮のケサラ。
少し、助かっている。
ああ、それから大西ユカリと彼女の合唱団(大西組)がかっこいい。合唱とは、こういうもんだよね。

小さな花
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さすらいの唄  小沢深雪   必殺必中仕事屋稼業 メインテーマ  昭和の名曲シリーズ……その6


【今日の一言】
昭和の歌謡番組みたいになっちゃった……。

必殺シリーズ(テレ朝のドラマ)の中で、おそらく一番面白いのは「必殺仕掛人」だと思われる。
「思われる」としか書けないのは、放送されていた当時は小学生で、ロクに見ていなかった。
ただ、大人になって知ったのは、原作が池波正太郎の「仕掛け人・藤枝梅安」で、主演が緒形拳と林与一。面白く無いはずはない。

その次に面白いのは「必殺必中仕事屋稼業」
何しろ主役の半兵衛は緒形拳を再びキャスティング。相方の政吉は林隆三。元締めに草笛光子
役者が揃ってしまったのだ。
仕掛けも極めてシンプル。クライマックスのカタルシスは半端ない……。
当時、高校受験を控えたいた私には、何とも楽しみな週末の時間だったのです。

しかし今日は、そのテーマソングの話。

必殺シリーズのテーマソングは初回の「必殺仕掛人」から平尾昌晃が作曲プロデュースをしていた記憶がありますが、御多分にもれず今回も平尾昌晃プロデュース。歌手は平尾昌晃がやってた音楽学校的なところの生徒である小沢深雪。
そして、このテーマソングが、凄かったのです。

切ないのです。何だか切ない……。

まあ、平尾昌晃のメロディーラインにもその切なさの要因はあると思うのですが、それより何より、小沢深雪の歌唱が切ないのです。

声が切ない。決してか細くはない。少し低い声。彼女ならではのフェイク。後で動画を転載させて頂きますが、ワンコーラス目の比較的早めに出てくる ♬……行く宛もなくぅ ♬「くぅ」のところの計算された跳ね上がりなどは、やり場のない情念を胸に抱きながら、それでも諦めている少女の想い、と聴き取れる。
そしてコーダーと感じられる ♬……あなたが~ぁ、恋しい~……♬「~ぁ」の「小さなあ」のところは、やり過ぎくらいに跳ね上がってますが、それがもう何だか稚拙で、それゆえにいたいけな少女の切なすぎる心情と聴き取ることもできるのです。

そして小沢深雪は、この曲のレコードでヒットを飛ばしたあと、雪が気づいたら溶けていたように、以降ヒット曲がないのです(たぶん)。
レコードのジャケット(実は、中3の私はこのレコードを新聞配達して買ったのです)を拝見する限り、少しボーイッシュなその風体も、切なさそのもののような……。

当時の僕は、吉田拓郎とかぐや姫とチューリップという三大ニューミュージック系アーティストのアルバム(当時はLPと呼んでいた)を聴いていたのですが、そんな僕の心に、何だか染みてきた、「さすらいの唄」という演歌だったのでした。

それでは、聴いていただきましょう。

必殺必中仕事屋稼業 メインターマ さすらいの唄。 歌うは小沢深雪。
ドラマのイントロダクションナレーションは、ご存知 藤田まこと(だよね)でございます。

(アップ感謝です)



2013年5月3日金曜日

ここのところ、不安定な日々が続く


ちょっとヤバい感じがする。

まだ、ヤバい感じがする、と自覚できているからいいかと思うけど。

何のために生まれてきたのかわからない。
意味があるんだろうか。

この前のエントリーでも書いたが、いろんなことに翻弄されている気がする。

けど、それでも進むしか無いんだけど。
進めるのか。

明日なんか無いかもしれない。けど、
走るしか無いんだよ。

どうしてこうなったのかわからない。

それでも、走るしか無いんだな。

死ぬかもしれないけど。その時は、ごめん。

2013年4月29日月曜日

なかなか思うようにならない


なかなか思うようにならない。

そもそも、何か思っていたのか……。

自分の今の状況を考えると、一体どうしちまったのか、と落ち込むことがある。まあ、こんなこと、ここに書くことじゃないのですが……。

もう時間がないが、焦らずに急ぐしかない。

中島みゆきの「ローリング」という歌に、
「さみしさを、人に言うな」
「軽く軽く、傷ついていけ」
「笑いながら、荒野にいる」
と言う歌詞がある。

何だか、よく分かる感じがする。

いろんなことが思うようにならなくて、人生が翻弄されている。

そりゃ、楽しそうにやってるよ。さみしさを人に言うな、と言われてるからね。

でも、思いっきり泣きたいし、涙が止まらないことがある。
荒野に一人でいると。

2013年3月10日日曜日

「旅する石鹸」がめちゃ可愛い。
産業から商業へ。大量生産時代が終わって欲しいなあ


「旅する石鹸」 これがめちゃくちゃ可愛い。
丸菱石鹸が発売している石鹸。




コールド製法で厳選した原料で……
という中身に対しての、このデザイン。

「旅する石鹸」はめちゃくちゃ素敵です。

で、本当に伝えたいのは、「旅する石鹸」をきっかけにしての、
産業から商業へ、という
ネット時代の「商業革命」。

ただ、まだまとめていないので、もう少しお待ちください。

【インターネット時代の「商業革命」】
という考え方です。

2013年2月15日金曜日

高校時代 (イントロ的なもの)


【再会】

中央線の上り電車は、大きく右に曲がりながら新宿駅に入ろうとしていた。
西荻窪に仕事があってその帰り。14時を周る頃。席は空いていたが、進行方向に向かって右側に立っていた。
僕が乗っていた中央線の快速のすぐ側を、登りの各駅停車が並行して走っていた。
何気なく、その各駅停車を見ていたら、その電車のドアの内側から、こちらに視線を送ってくる人物がいる。
僕はその女性をよく知っていた。

Sだった。
彼女とは高校の同級生。黒い髪と、すこし大きな瞳。美少女とまではいかないが、清楚で静かなイメージで、結構男子から人気があった。ただし、陸上部に所属していていて、放課後はトラックを走っていたので色は黒かったが。

僕は、各駅停車に乗っているSに、手を振った。僕も気づいているよ、というサイン。彼女も僕に手を振り返してくれた。
新宿で降りよう、すこし話でもしないか、と身振り手振りで彼女に伝える。彼女もオッケイのサインを送ってくる。
突然の再会。こういうこともあるんだな、と少し胸がときめいた。

高校の頃、僕は彼女と付き合っていたわけではない。彼女は陸上部でハードルを跳んでいたし、僕はサッカー部でグランドを駆けずり回っていた。
ただ、帰りの電車がよく一緒になった。市内にある高校だったけど、僕と彼女は郊外から通っていた。電車が乗換駅まで一緒で、1周間に2,3回は還りの電車が一緒になった。
クラブ活動が終わって数十分すると、空腹に耐えられなくなるのは男子だけじゃなく女子も同じらしい。乗換駅にある立ち食いのうどん屋で1周間に1度くらいのペースで、二人してうどんを食べた。ただし、彼女の場合、うどん1杯を一人で食べると、家での夕食に支障をきたすので、二人で1杯頼んで、それを7対3から6対4くらいに分けて食べた。
僕たちは、そういう意味では仲が良かったが、付き合っていた、というわけでは決して無かったんだ。話を交わすのは、乗換駅までの帰りの電車と立ち食いのうどん屋の中くらい。どんなことを話したかなんて、もう、すっかり忘れている。

Sは、電車を降りたホームで待っていてくれた。先程は気づかなかったが、ベージュのスーツを見事に着こなしている。攻撃的でもないし、コンサバティブ過ぎもしない。スカートはひざ上。僕と同級生だから50歳を少し超えているのに、その丈がよく似合った・

「久しぶりだね」
と声をかけると、
「ホントに……」
と、あの頃の笑顔で答えてきた。

もう、あの頃のように色は黒くない。もちろん数十年の時の経過を経ているのだから、高校生の彼女がそこにいるわけではないが、気持ちは高校生の頃に戻っていた。

「あまり時間がないの」
と、すこし困ったような表情。
「じゃあ、あそこに行きますか」
と僕は、駅ナカの立ち食いそばやを指さす。

彼女の困った顔が一気に笑顔に変わった。
「お腹は空いてたんだ」

二人で1杯のうどんを頼む。小分けする器をもらい、彼女に分ける。大人になって、しかも空腹な彼女が、結局80%くらい食べた。大人になるとはこういうことか。
うどんを食べている時間は、10分もなかっただろう。でも、僕たちは間違いなく高校生の頃に戻っていた。

「じゃあまたね。私は地下鉄に乗り換えなの」
「ああ、気をつけて」
「また会おう」と付け加えようとしたけど、やめた。
携帯の番号も交換せず、
地下鉄方面に小走りで走っていく彼女を見送りながら、二度と会うことはないだろうな、と思った。








2013年2月14日木曜日

レスリングの魅力は、オリンピックで金メダルを取らないと伝わらないのか?


レスリングがオリンピック種目を外れることは、それほどよくないことではないですよ

レスリングが、2020年のオリンピックの競技科目から外される可能性が高くなった。
レスリング関係者をはじめ、日本の多くのマスコミも、何で?とか、それは厳しいよ、といった意見が大勢を占めていますが……。
私は、正直、いいじゃない、別にオリンピックなんて、と思います。むしろレスリングにとってはいいことではないかとすら、思っています。


オリンピックで金メダルをとることが、その競技の魅力ではない

オリンピックってそんなに偉いのか?偉くないでしょう。

オリンピックの種目になっていることが本当に偉いのかというと、全くそんなことはないと思います。オリンピックなんて、運動会みたいなものだから、お祭りなんですよ。
皆さんにお伺いしますが、オリンピックでレスリングの魅力を感じましたか?素晴らしいスポーツだ、と思いましたか?
いや、もちろん心は動かされましたよ。でも、それって、レスリングの魅力でしたか? やってみたいなあ、レスリングの観戦に行きたいなぁ、という気持ちにつながりましたか?
金メダルを獲得した選手やコーチはよくがんばったな、すごい努力だな、と心動かされましたが、それは、レスリングそのものの魅力とはちがいますよね。

多くのスポーツ関係者の方は、大事なところを間違えていると思います。
オリンピックでは、その競技の本質的な魅力は伝わりません。興奮したり、感動はするかもしれませんが、それは競技の魅力からくるものではなく、オリンピックという派手な器に盛られた表層的な魅力なのです。


オリンピックでの人気獲得は、本質ではない

スポーツの魅力はいろいろあります。競技によっても違いがあります。
その魅力を伝えるためには、地道な活動が必要です。
何が魅力なのか、本質はどこにあるのか……。
私はレスリングのことはよくしりませんが、おそらく、人間の体のメカニズムを利用し、心理的な駆け引きにより相手を制するところに、魅力があるのでしょう。
(違ったらごめんなさいね)
でも、それって、オリンピックじゃ伝わってこないですよ。
もちろん、レスリングの関係者の方々が、その魅力を伝えるために、地道な努力を怠っているとは思いませんが、あまりにもオリンピック頼みな感がするのです。

いいじゃないですか、別にオリンピック競技じゃなくても。
競技者として極めたいなら、世界選手権があるじゃないですか。


オリンピックとは関係ない所で、魅力をアピールしているスポーツはたくさんある

私も習っている少林寺拳法は、オリンピック選手を作る気はサラサラない、チャンピオン(オリンピックに置き換えれば金メダリスト)を作ったところで何もいいことはない、といった趣旨のことを、開祖(少林寺拳法を作った人)が早々と断言しています。
しかし、一方では、少林寺拳法の本質的な魅力を伝えるためには、120%の活動をしています。
その結果、世界中に少林寺拳法を修行した拳士は累計で170万人。現役の拳士は14万人もいるのです。(まあ、問題もありますが)

少林寺拳法の宣伝をするつもりはなかったのですが……。

少林寺拳法だけではなく、他のスポーツでも、魅力たっぷり、やりたいスポーツはたくさんあるはずです。

レスリングがオリンピック競技から外されたところで、レスリングの本質は変わりません。魅力も変わらないはず。
オリンピックへの早い復活を考えるのではなく、
もっと、レスリングの本質的魅力を伝えるには、どうすればいいかを考えるべきだろ思います。

もう、オリンピック賛歌には、うんざりですよ。